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ハーシェルの独り言

グラブルや雑談等、しがないぴよっぴよです。

【映画レビュー】バズ・ライトイヤー/なぜ近年のポリコレは押し付けがましく感じるのか【若干ネタバレあり】

 

あらすじ

有能なスペース・レンジャーのバズは、自分の力を過信したために、1200人もの乗組員と共に危険な惑星に不時着してしまう。地球に帰還するため、バズは猫型の友だちロボットのソックスと共に絶対に不可能なミッションに挑む。その行く手には、ずっと孤独だったバズの人生を変えるイジーや個性豊かな仲間たちと、思いもよらぬ“敵”が待ち受けていた──。

 

最初に

私は最近ディズニー+に加入して、過去のディズニー作品【アトランティス】【トレジャープラネット】や最近話題のスターウォーズ関連作品【バッド・バッジ】を見まくっていた。

最近だとディズニー+独占配信の新規アニメも多く、最近配信されている【天国大魔境】もその一つで↓

 

こちらも非常に面白く見させて頂いている、ハードな世界観とちょいちょいえちちな作風なのが実に良い。過去には【サマー・タイムレンダ】などの人気作品も過去に独占配信されていたこともある。

なので一足先に独占配信作品を楽しみたいならディズニー+の加入をおススメする。

 

とまぁ別にディズニー+加入のステマをしにきたのではなく、その中の配信作品。バズ・ライトイヤーについて思うところがあったのでレビューしたいと思う。

 

全体的な感想

全体的に非常に高品質な3DCG作品で、演出、脚本、映像のテンポともに非常に優れた作品であると言えるだろう。トイストーリーにおいては馴染み深いおもちゃであったあのバズ・ライトイヤーが、凄まじい映像美で主役を張っているその姿には目を見張るものがある。ある程度難解な要素を含んだSF作品であるものの、子供向け作品らしく非常に話がわかりやすく誰が視聴しても退屈することはなさそうだ。

序盤、未知の惑星に調査の為に着陸したバズ・ライトイヤー一行は、謎の植物クリーチャーに襲われて乗って来た母船が襲われる。なんとか陸地から離れるも、バズ・ライトイヤーの操縦による不安定な姿勢制御のせいで別の場所に不時着してしまう。

その際にハイパースペース航行に必要なクリスタルが破壊されてしまい、彼らはこの星域からの脱出が不可能になってしまった。

なんやかんやでクリスタルを作る為にこの惑星の豊富な資源をつかって基地を築き、製造困難なクリスタルの調合を繰り返して、バズ・ライトイヤーハイパースペース航行の為の実験の為に宇宙船に乗って宇宙へと飛び出す。

この際、光速に近づくにつれて基地の人間とバズ・ライトイヤーの時間がどんどんかけ離れていってしまい、何度目かの帰還の際、遂にはバズ・ライトイヤーのかつての相棒。アリーシャ・ホーソーンは老衰でこの世を去っていった。

このあたりの演出は、まるで【カールじいさんと空飛ぶ家】を彷彿とさせるようなものだった。その後、時間がずれていくにいたって基地内での政治状況も大きく変動していた。かつてこの星からの脱出を夢見ていたはずの人々はこの星で暮らすことを選択し、脱出を志すものはバズ・ライトイヤーただ一人だけとなってしまうのだが...。

ここから先の話は実際に見てもらう方が楽しめるだろう。

 

さすが天下のディズニー様、生半可のものを世に送り出すことはそうそうない。

 

ただしお得意のポリティカル・コレクトネスかまして【14ヵ国で放映禁止にされたようだが。

 

ポリティカル・コレクトネス

なぜ世界で放映中止にした国が出てくるほどに問題になってしまったのか。

それは、作中に登場する登場人物。冒頭のバズライトイヤーの相棒である

アリーシャ・ホーソーンが、黒人レズビアンとして作中内で女性同士の同性恋愛を繰り広げたからだ。その後、特に技術的な理由もなく子供が設けられ、キスシーンまで描かれた。

 

たしかにこれは一部の国では宗教観念的に放映不可能のシーンであることは想像に難くない。まぁその他にも、ビジュアルで大体想像できるようなポリコレ要素は完備されている、絶対に白人の美人ねぇちゃんは意地でも出てこないし、出てきても老婆である。(実際の人種はわからん)

 

一体何がここまで押し付けがましさを感じさせるのか

ここからが本題だ。先に言っておくと、私は決してポリコレを差別的に批判しているわけではないのだ。

私が思うに、とってつけたかのような映画のポリコレ要素には説得力が足りてないのだと思う。

先程言ったような、女性同士のキスシーンや、女性同士でそこから子供が設けられる話の展開には説得力を伴うバックボーンが存在していない。

どういうことかというと、まず女性同士で子供を作ることができないのは現実においてある程度の常識のはずだが、作中ではそうではない。

なにか先進技術的な後付けがあるのかな?と思いきや特にそういった描写はなく、実に唐突な設定だと言わざるをえないだろう。

だが、言いたいことは分かる。

同性同士の恋愛も家族もなにもかもが偏見のないあたりまえの世界であると言いたいのだろうということは。

だが、それこそが押し付けがましさを感じる要因なのだと思う。

例えば、彼女と彼女の出会いが運命的なもので、あぁこれなら恋愛関係になるのも納得だなと、そう思えるものをダイジェスト形式でもいいので用意すべきだったのだ。

いきなり結果だけを見せられても大多数側の人間はそこにドラマを感じる事ができず、あぁそうですかはいはいポリコレねと冷めた目でしかそのシーンを見る事が出来ない。

 

じゃあなぜノーマルの恋愛描写ならそうはならないのかと言えば、それは当然で今までに様々な恋愛描写を他で散々見てきたからだ。だからこそ勝手に補完されるし、それはそういうものだと違和感なく受け止める事が出来る。だが同性恋愛はそうではない、多くの視聴者はそういったものに当然ながら触れる機会が少なくて、どちらかというと今までのストーリー感からは異物に近い認識を持っている。それは当然だ、普通の大多数の人はそういうものを積極的に見るわけじゃないから。

なのにポリコレ擁護勢力はそういう人物達を差別主義者扱いして圧力をかけようとしている。こういった雑なポリコレ設定が、既存の大多数への少数派の理解から、少数側から大多数側へと挿げ替わろうとしているようにしか思えてならない。あまりに短絡的な思考ではないだろうか?

徐々に歩み寄ろうとするのではなく、いきなり天下を取ろうとしている。それはおかしいだろうと筆者は思うわけだ。

 

既存層へ理解を促すのではなく、ただひたすらに結果と現象を押し付けてあたかも「これが普通なんですよ???」と言わんばかりに大多数の人間の思考をバグらせにきている。だからこそポリコレは押し付けがましく、その要素については違和感を感じざるをえないのだ。

ポリコレはあくまでポリコレであり、とってつけてればいいってものではない。ストーリーと融合させてドラマを生んでこそ真のポリコレなのではないだろうか?

それに白人等への逆差別になっているような点も少々気にかかる、最近の作品ではまず綺麗な白人姉さんが出る事はなくなったわけだが、一方他人種や男性においては普通に端正な顔立ちの人間が多いように思える…。

既存要素から排除して入れ替えるように付け加えるのではなく、全ての要素を両立させてこそポリコレのあるべき姿ではないのか?とまぁ筆者はそう思うわけである。