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ハーシェルの独り言

グラブルや雑談等、しがないぴよっぴよです。

ゆかりさんと学ぶ哲学用語『無知のヴェール』無知を纏う事によって見えてくる真理【VOICEROID解説/哲学】

 

 

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インテリ市民の皆様御機嫌よう。

さて、今までに様々なリベラリズムの思想についてお話してきましたが、
今回はそれらにまつわる原典的で有名な思考実験でもある哲学用語「無知のヴェール」
について解説していきたいと思います。

「無知のヴェール」とは、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズの著書『正義論』の
中で展開された仮想的な概念のことで、現代リベラリズムを考える上での基礎的な概念の
一つでもあります。ロールズはこの考え方を通して、社会における公準たる『正義』
をいかにして実現するのかを考えました。

ではその『無知のヴェール』とは一体どのような概念だったのでしょうか?
ロールズは著書『正義論』の冒頭において、まず『正義』そのものの基準を
普遍的な形で設定できるのかという問いを打ち出しました。

そしてそのようなものを設定するためには、この無知のヴェールと呼ばれる概念的な
ヴェールを人が被る事によって『原初状態』と呼ばれる状態にする必要が
あるという独自の仮説を打ち立てます。

この原初状態というのは、例えば人が一斉に見知らぬ異世界に転生して、地位や財産などに
に関係なく全員同じ前提から新たな社会や文明を一から作り上げる時、
その社会における公準的な『正義』は果たしてどのようにして
生まれ築かれるのか。というような想定をすることを意味しています。

そして、無知のヴェールを被るというのは、人が自分の社会的・経済的・自然的な条件を
知らない状態で、正義の原理を選ぶという仮定のことで、これによって人は自分の
利害や偏見に影響されずに、公平な判断ができるというものです。
この無知のヴェールを被った状態、つまり、自身の立場や地位、財産の
状況が分からない原初状態の人間ならば、人は初めて真の公準たる
『正義』について考える事が出来るのだと言います。これが無知のヴェールに関する
大まかな内容です。

そしてそのような状態においては、ロールズは誰しもが『正義の二原理』を選ぶはず
はずであり、それがその社会における基礎的な『正義』の基準であると主張します。

『正義の二原理』とは。第一原理・各人は、他の人々の同様な自由の図式と両立する
平等な基本的自由の最も広汎な図式に対する平等な権利を持つべきである。
という対等原理と。
第二原理・社会的・経済的不平等は、それらがあらゆる人に
有利になると合理的に期待できて、全ての人に開かれている地位や職務に付随する、
といったように取り決められているべきである。という格差原理。
この二つの原理から構成された二原理です。

小難しいですが要するに、第一原理は「言論の自由や信教の自由などの基本的な権利が、
全ての人に平等に保障されるべきであるということ」
第二原理は「社会的・経済的な不平等は、最も恵まれない人々の利益になるように
調整されるべきであり。また、機会均等の原理は、社会的地位や職務に就くためには、
全ての人に公平な競争の機会が与えられるべきであるということ」
という風に言えます。

これらを踏まえてロールズが言いたいことは、簡単に言えば
自分の立場も財産も知らない状態で『正義』を考える時って、
必ずみんなが納得する正義になるよね。ってお話な訳ですね。

しかしこの主張は、一見普遍性を伴ったような意見に思えましたが、誕生の地アメリ
では多くの批判に晒される事となりました。この主張を批判した主な立場としては
リバタリアニズムとコミュタリアニズムの二つの立場が挙げられます。

リバタリアニズムの立場からの批判として、正義とは「個人」の不可侵な所有の権利
にのみ存在すると彼らは主張し、個人の所有の権利を社会的正義たる基準値として
設定しておき、その個人間における正当な財のやり取りについてのみ、財の所有
についての正しさを規定する『権原』(法律行為に正当性を持たせるの原因)が
作られると考えられています。

この事から、ロールズが示唆するような不平等を解消する行為、即ち「持たざる者」へ
の富の再分配は、個人の正当な所有の権利、「権原」に対する国家からの不当な
侵害であると考え、正義に反するものとしてリバタリアニズムに批判されました。

前にも説明したように、リバタリアニズムは個人の所有権や自由を最優先する立場
なので、富の再分配は個人の権利の侵害だと考えます。

続いてコミュタリアニズムの立場における批判としては、個人に関する価値観の相異
が主に上げられていて、ロールズの考えでは個人は社会から独立していると
考えられており、思想や価値観を選択して行動できるとされているのに対し、
コミュタリアニズムは、価値観は共同体においてのみ規定されると考えていて、
そのような共同体的価値観から離れた個人など存在しないのだと主張しました。

コミュタリアニズムは共同体の価値観や伝統を重視する立場なので
無知のヴェールは現実離れした仮定だと考えます。

以上、哲学用語『無知のヴェール』についての概要でした。

ふむふむ、なるほど。確かに無知のヴェールがあればポジションに囚われない万人の
為の議論が出来そうですよね。日夜討論番組で繰り広げられるような不毛な言い争い
を繰り返す論客達には、ぜひ無知のヴェールを被ってもらいたいものです。

まぁその過程が結果として新たな結論における有意義な動機付けとなるなら
それはそれでいいのですけども。結局はアウフヘーベンです。皆さんアウフヘーベン
をしていきましょう。

それでは今回はここまでです。ご視聴ありがとうございました。お疲れ様でした。

 

 

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